汚れたフィルター越しの『天気の子』
『天気の子』という映画を観てきた
(「天気の子」ポスター ©2019「天気の子」製作委員会)
自分なりの解釈で要約してみる。
悪意はない。ない…
まこと。ごめん。
まことファン。ごめん!!!
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日常に嫌気をさした田舎少年
都会にでて天気を操れる少女に出会い恋をする
少女の力を利用して2人で金儲けする。
軌道にのってきたタイミングで使えば使うほど少女の体が透明化することを知る。
金儲け休止。
しかし、少女いきなり姿を消す。
雨が降り続ける日本の天気を元に戻す為に犠牲になったことを知る。
少年、少女を追いかける。
無事、少女を救出
それにより日本には永遠に雨が降り続く。
三年後、激変した東京で再会を果たす。
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私にはこうみえたんだ…。
え、これはハッピーエンド?なのか?
上のはかなり掻い摘んでの要約になってしまったが
この映画にはいくつものモヤモヤが存在する…
この少女は「お母さんとまた晴れた空の下で散歩がしたい」という慈悲深い願いによって日本の狂った天気を変える為の人柱にされてしまったのだ。
いや、かわいそう。
かわいそうすぎる。
そして田舎少年。いや、この少年に限らず…他のアニメ映画でも言える事だが…なぜ純情な少年は終盤にさしかかったらいきなりキザな言葉や行動をしだすの?
もしや、映画内の2時間の中では伝えられなかったものの、ノーカット版には少年のキザなセリフが言えるようになるまでの成長過程がみれるのか!?
だめだ。心が純粋じゃないと、この映画を心の底から楽しめないのかもしれない。
『君の名は』は晴れた青空の大胆な絵とRADで大ヒットした。
今までの新海誠監督の映画は雨をモチーフにした映像が多い。
意外性が大ヒットした理由の1つかもしれない。
では、『天気の子』はといえば。
雨の映像が多い。
あぁ、監督、また系統戻したのか。
...いや、でも新宿でみた広告は青いイメージ。
雨の絵だったけか…。
うーん。うーーん。モヤモヤ。
新海誠監督が今まで貫いてきた芯みたいなものが『君の名は』の大ヒットによって
ぽっきり折れてしまったような…。
新海誠監督の作品と言えば雨☂️
そのイメージを貫きたい。
でも、『君の名は』を超えられる自信がない。
広告は「君の名は」同様、晴れた青空の絵で惹きつけてストーリーに雨を関連付ければ自分のプライドを保てる。。。
そういう根端か…。
やっぱり私の薄汚れたフィルター通してしまうと良くないな。
番外編
映画を見終わった私はやるせない気持ちだった。
一緒に観に行った彼にこの映画は
「あーだ、こーだ、(いつもの悪い癖🤧)」
散々ディスりそれを面白おかしく聴いてくれるもんだから、もうとまらんとまらん…
私のターンが終わり、彼の感想を聞く。
「これは彼女が出来たから感じたことだけど、あの主人公の女の子への一途な強い思いはわからなくないと、そこにはめちゃくちゃ共感しました」
一気に申し訳なさが混み合げてきた。
自分最低すぎる…。
同時に優しい人に出逢えて良かったな。
一気に心が浄化されました。
結果的に『天気の子』は私にとって永遠に思い出に残り続ける映画になった。
まこと監督
こんな素晴らしい映画を作ってくれてありがとう。
みんな、『天気の子』観に行こう。